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シテンの置き方が、生き方をかえる。
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410 vol.3
株式会社わざわざ

代表 平田はる香 さん

問と解のあいだに
長野県東御市御牧原(とうみしみまきはら)は、北アルプス、八ヶ岳、浅間連山をぐるりと見渡せる風光明媚な台地だ。土地の大部分は田畑と山林が占め、自然の中にポツンポツンと人が暮らしている。この地のとりわけ高い場所に、パンと日用品の店「わざわざ」がある。ドアを開ければ、目の前の棚にはわずか2種類のパン。店内には所狭しと日用品が並ぶ。10人も入れば肩が触れ合う小さなお店でありながら、県内外から客足が途切れず、いまや年商にして2億円超。代表の平田はる香さんが発信する膨大な量の情報と相まって、様々な分野から注目を浴びている。
平田さんは元々東京で活動するフリーランスのWEBデザイナーだった。その後夫の徹さんとともに長野へ移住。2009年にわざわざを開業して以来、パンもお店も経営も、文字通り手探りで作り上げてきた。彼女の仕事への熱量は、どこからくるのだろうか。第2店舗のオープンを目前に控え、新たな”始点“に立つ平田さんに聞いた。
すべてはタイミングと、そこに「問」があるか。
間もなくスタートする新しいお店は、東御市の施設内だと聞きました。どのような経緯で生まれたのでしょうか?

2店舗目を作ること自体は、ずいぶん前から決めていました。物理的に今の店舗は手狭なんです。かといって現店舗のこれ以上の増改築は難しい。だから数年前から新店舗用の土地を探していたんです。そして遂に眺めの良い場所を2千坪買うことができました。設計が始まったタイミングで、本当に予想外に東御市から「憩いの家の運営をしませんか?」と声をかけていただいたんです。2018年の秋頃の話です。
この施設は、市が運営する芸術むら公園の中にあります。毎年アートフェスティバルを開催して、陶芸の登り窯が焚かれたり、手づくり市をやっているアートスポットでもあって、私もよく遊びに来ています。ただ普段は少し閑散としていて、景観が美しいのにもったいないなぁと感じていました。だから市に提案をいただいた時はとても嬉しかったですね。地域の役にも立てるかもしれないと思いました。最初は、買った土地と合わせて2店舗一気に増やすことも考えたんですよ。でも、さすがにお金の面でも人材の面でも厳しくて。こういうのはタイミングが重要なので、まずは声がかかったこの場所から始めることにしました。買った土地は後からでも活用できるけど、憩いの家は今この瞬間しか受けることができませんから。
お店の名前は”問 tou“。ギャラリーと古本とコーヒーのお店です。本はバリューブックスさん、コーヒーはツバメコーヒーさんと共に運営していきます。わざわざとは全く違うコンセプトで、非日常をテーマに、モノを買うことを再定義する事業にしていきたいと思っています。
日常と、非日常。どちらも人生の一部だから。
「問」は、まるで禅寺の掛け軸に書かれていそうな意味深な店名です。どうしてこの名前にしたのですか?

わざわざを始めて10年くらいでしょうか。私は小売業としてモノを売りながら、売る人と買う人のあいだには何があるんだろう、とずっと自分に問いかけてきました。純粋なモノの価値だけじゃないのは明白です。たとえば、わざわざではボデガのグラスを扱っているんですけど、まったく同じものをアマゾンでも買えます。なんなら安い場合もあるでしょう。わざわざで買う必然性なんてどこにもないわけです。それでも、わざわざ、うちで買ってくれる人がいる。これを突き詰めていくと、お客さんはわざわざとコミュニケーションを取りたいんだということに気づきました。商品やお金を介した関係づくりを、お客さんは楽しんでくれているし、私たちもそれを自然と目指していた。この関係性を意識したときに、ギャラリーというものを改めて考えてみたのです。
たとえばスーパーでの買い物って、夕食に必要なものを買いにいく、といった必然的な行動ですよね。目的もはっきりしています。でもギャラリーで作品を買うって、すごく特殊な購買行動だと思っていて。そもそも価値が人それぞれで、他人にはもしかしたらよく分からないものが対象かもしれません。しかも、買うためには店主であるギャラリストと会話を重ねて、信頼を得ないと譲ってもらえるかすら分からない場合もある。
もしかしたらギャラリーの本質は、作品そのものの価値を買うのではなく、継承するとかコミュニケーションをする部分にこそあるのかもしれない、と最近感じているんです。新店は、この疑問に対する解を出したいし、来てくれた方にも問いかけたい。だから”問 tou“という名前をつけました。
私たちはわざわざを「日常」、”問 tou“を「非日常」と呼んでいます。それぐらい店構えから変えていきます。初めての人はドアを開けるのに勇気が必要かもしれません。でも、それを越えて踏み込んでくれた人を私たちは大歓迎しますし、その方たちとのコミュニケーションのきっかけも、そこら中に織り込んで店を設計しているつもりです。また、大きな絵画作品などには値段をつけずに展示する予定です。作り手や送り手の思いごと譲り受けて展示していますので、「これは○○円です」と店が提示するのではなく、本当に欲しいという問いかけをしてくださった方と何度も言葉を交わして、購買に至ってほしいと願っています。
”問 tou“で私がしたいことは、モノを売って儲けることではなく、自分がすばらしいと感じたモノを次世代の人に伝え、大切に受け渡すことなんです。今の時代は、大抵のものはお金を出せば買えます。でも、ここでは会話を重ねて、この人なら託せる、という人にしか値段さえも教えない。従来のお客さんには、かなり面食らうお店です。ただ、わざわざとまったく違うかといえばそうでもなく、光と影のように表裏一体の存在だと思っています。日常も、非日常も、どちらも人生の一部のように。ぜひ両店舗にお越しいただいて、両極端を味わってもらいたいです。

新店舗は平田さんと、現在わざわざの店長をされているゴトウ店長が常駐すると聞きました。そこからも力の入れ具合を感じます。

”問 tou“は、「わざわざ」をずっと運営してきた私とゴトウ店長でしか立ち上げられないと考えています。商品説明も難しいんですよ。多種多様な作品のひとつひとつに込められた想いはもちろん、その価値を時代の文脈に乗せて説明するのはかなり難易度が高いと思います。だからわざわざを作ってきた超コアの2人が全力で攻めないと。ゴトウ店長は接客。私は喫茶を担当してコーヒーを淹れます。彼女はもともと家具職人でモノを見る目が肥えているし、良し悪しの基準が私と近いから、安心して任せられるんですよ。……と言っても、本人はこれから大変かもしれませんね。全国から仕入れた変わったものが毎日のように届いていますから。この間、倉庫に並んだ作品群を前にして「これ、全部覚えるんですよね?」って言っていました。頑張ってもらうしかないです(笑)。
仕入れに関しては全部私がやっています。どうやって作家や商品を見つけてくるのか聞かれることも多いのですが、私の場合は自分の足で探すことがほとんどです。事前にインターネットで探すことはあまりないですね。友人や知人に紹介いただいたお店に何度も足を運んで仕入れさせていただいたり、知らない土地の面白そうなお店に飛び込んでみることもあります。そして入ったお店で「この辺りでよいお店や作家さんはいらっしゃいますか?」と聞いて訪ねていく。ほとんど刑事ですよね(笑)。この前は盛岡で、5時間ぐらいレンタサイクルを借りて走り回りました。
初めての土地に行くと散歩ばかりしています。収穫がないことも多いですし、時間もかかります。でも、縁がつながれば独自の仕入れになる。展示会に行くこともありますが、展示会に集まったものは既に誰かにチョイスされたものですから。私は、誰にも編集されていない場所から、独自の目線で再編集していくことに興味があるんです。本当に自分たちだけのお店を作ろうと思ったら、仕入れには絶対手を抜くことはできませんね。
問い続ける空間をつくる。
バリューブックスさん、ツバメコーヒーさんと協力して進めていくということですが、どのような体制で運営されていくのでしょうか。

基本、お店に立つのは私とゴトウ店長と2人のスタッフを予定しています。バリューブックスさんには古本の選書と仕入れ、ツバメコーヒーさんには喫茶全般のメニューやオペレーションでサポートしてもらっています。本の選書にもこだわっていて、ツバメコーヒー店主の田中さんが100冊、200冊が私、1700冊をバリューブックスさんにお願いしています。選書の基準は”偏愛“。とにかく自分達が好きなものを選びます。私の場合はプラトンから池波正太郎まで、今まで読んだ本の中で面白かった、好きだったなぁという純粋な視点で選びました。正直、偏りまくると思います。100冊本というコーナーも作ろうと考えていて、同じ本を100冊仕入れて並べます。田中さんと一緒に1冊の本を解体して説明する、という取り組みも行う予定です。
本の陳列にもこだわりたくて、文脈本棚にしようと考えています。普通、本屋さんの棚って定型で決まっていますよね。作家別とか、出版社別とか。それって見つけるには便利ですけど、退屈じゃないですか。だから”問 tou“の棚にはエリアの名前がありません。説明文もなし。でも背表紙を眺めていると緩やかにつながっていることがわかるんです。棚に入っていない本も多くて、たとえば作品の間に本が置いてあったりする。すると作品と本にも文脈が生まれるわけです。店内にいるあいだ中、その文脈を問われ続けますから、きっとすごく刺激的な時間になると思います。
ちなみに、最初にこの構想をバリューブックスさんに話をしたときは困った顔をされました。「文脈本棚はとても難しいんです。1冊抜くと文脈が崩れますからね。5冊売れたら意味が変わっちゃいます。それでも、できますか?」って問われて。もちろん、できますって答えました。もう、やるしかないです(笑)。
わざわざは、すでに私なしで成り立ってます。もちろん経営や新商品の企画はやっていますけど、ある程度は完成しているので見守りと軌道修正だけでいい。”問 tou“はまだエンジンすらかかっていないので、気持ちがまた違いますね。これから膨大な問題が山積みになって、それを片っぱしから解決していく必要がある。勢いも求められる。でもそれは楽しいことですよ。つくづく自分はゼロ to ワンが好きなんだって思いますね。1から10までの仕組みを作るのも得意ですけど、10以上は別の人にやってもらったほうがいい。そこはあまり自分には向いていないです。
自分の感動を、誰かに届けたい。
わざわざの理念である「すべては誰かの幸せのために」は、平田さんご自身の幸せともイコールなのでしょうか?

あの言葉には裏側があって、すべては「誰かの」幸せのためにであって、「すべての人の」幸せのためにじゃないんです。私たちの思いに共感してくれる人、同じ方向を歩いてくれる人に喜んでもらえるとしたら、それは私にとっても幸せなことだと思いますね。
今日も、朝から社員十何人分の賄いを作りました。献立はスープ、サラダ、オムレツです。最初はスープだけでいいかな、と思っていたんです。でも早くできたからサラダを作りました。それでも時間があったからオムレツも作りました。今週は私が出張で作り置きのカレーばかりだったから、3品あると喜んでくれるかな、とか想像しながら作るんです。私はスケジュールが詰まっていることが多いので、自分が作った賄いを食べることはほとんどありません。それでも進んでキッチンに立つのは、喜んでくれる人の顔が見たいし、役に立てる感じが楽しいんですよね。美味しいって言われたらもっと嬉しい。……作って当たり前の顔されるとムカッときますけど(笑)。

他人が喜ぶ顔が見たい、という思いは昔から平田さんの中にあったのですか?

これははっきり最初の体験を覚えていますね。小学校4年生のときでした。私が静岡に住んでいた頃で、友達にシホちゃんという女の子がいたんですよ。1、2才上だったかな。ある日、いつものように彼女と遊んでいたら、近所のおばさんがミカンをくれたんです。ひとつだけ。ちょうどすごくお腹がすいていたから、さっそく皮を剥いて割ったら、大小で分かれちゃった。私は両手にミカンを握りながら悩みました。多分、いつもなら食欲に負けて大きい方を選んでいたんですよ。でもそのときは、ものすごく悩んで……最後には大きい方をシホちゃんに渡したんです。そしたらめちゃくちゃ喜んでくれて。ちょっと大きいだけのミカンですよ? それがこんなに人を笑顔にできるんだ、って思ったら楽しくなっちゃって。それからですね、誰かが喜んでくれるために進んで動くようになったのは。

幼少期の感動が、今にも続いているんですね。

わざわざを山の上に開いたのも、最初の動機はここから見える絶景を見せたかっただけなんです。競合がいないから、なんて取材で答えることもありますが、あれは後付けですよ(笑)。澄んだ空気の中にそびえる浅間山とか、最高じゃないですか。この景色を見たら絶対に喜んでくれる。そのためにはここまで来てもらわないといけない。そこが出発点でいろんな工夫を始めたわけです。そうだ、告知をしよう、ブログを書こう。来てくれた人が楽しんでもらえるように、パンだけじゃなく日用品も揃えてみよう。種類も多い方がいいよね。作り手に物語がある、厳選されたモノの方が嬉しいに違いない。……という感じで、どんどん来たいと思ってもらえる理由を増やしていって、今のわざわざになっていきました。2店舗目となる”問 tou“も同じです。扱う商品やコンセプトこそ違いますが、私が見つけた素敵なものを伝えたい、共有したい、喜んでほしい、という根っこは何ひとつ変わりません。
ずっと、後ろを見ながら歩いていく。
平田さんの仕事へのモチベーションは、どこから生まれるのでしょうか?

私は大きなビジョンを掲げて、そのゴールに向かって進んでいくタイプの経営者ではないんですよ。でも、やりたい! って情熱だけで動いているわけでもない。よく5年後、10年後にどうなりたいとか聞かれますけど、まったく分かんないです。ポジティブシンキングでもないし。冒険とかもしたくない。ただ、問題が起きたらいち早く解決すること、これだけです。私のやることは。
”問 tou“が生まれたのも、東御市から運営しませんか?と誘っていただいた時に店舗が小さすぎるという問題があったから。昔パンの種類を25から2つに減らしたのも、会社の理念と齟齬があったからだし、ユニークな人事制度も失敗の連続が発端です。オリジナル商品だって、窯だと服が焼けちゃうから耐久性のあるものが必要だ、あったかい靴下がみつからないから作ろう、とか。パン屋だって、パンが好きで始めたのではなく、私ができることの中からパンというツールが残っただけです。とにかく、受け身なんでしょうね。やりたいことよりも、やれることを探してやる。今までの人生、挫折ばっかりでしたから(笑)。
わざわざが生まれてから、私はずっと後ろを向いてきた気がします。一歩進んでも、すぐに自分の足跡から問題が生まれてくる。そのたびに解決して、進んで、また次の問題が出てきて、解決策をひねり出して……。会社が成長すれば、そのレベルに応じた問題が出てくるから、これには終わりがないんでしょうね。ずっと後ろを向いて歩いていきますよ。解決しないとつぶれちゃいます。絶対にやり続けないと。会社にとって大事なことは、存続することでしょう。たとえ細々でも続けていけば、10年、20年という時間が経ったとき、この東御市御牧原という土地に「あってよかった」と思われる会社になれるんじゃないかと思っています。
編集後記
「地方にはすごい人やモノがまだまだ沢山ある」と、自らの足を使って作り手を探し、訪ね歩く平田さん。作り方やこだわりを聞き取るだけでなく、自費で購入して使い心地も確かめています。
「ジーンズの一年後の変化を見たいから、寝るときもずっとはいているの。だって、お客さんにこんな感じに変化しますよって伝えたいから」と、こともなげに笑います。取材日の朝には「ジーンズではなく、自社製品に着替えてもらっていいですか?」と、わざわざのゴトウ店長に指摘されたそう(笑)。そのやりすぎなくらい一途な姿に、どこか親近感を覚えました。

SNSで発信される言葉から、〈自分のやりたい〉にまっすぐ進む、強い人をイメージしていました。しかし、実際にお会いして見えてきたのは〈誰かに喜んでほしい〉という強い気持ち。その答えを見つけるためには、妥協せず、納得するまで行動する。この高いホスピタリティこそが、平田さんを突き動かす原動力でした。

取材の日、私たちを迎え入れてくれた平田さんが眼の前でお茶を煎れてくださいました。
 褐色の陶器の片口に熱湯を注ぎ、茶碗に移し替える。適温になったお湯を、今度は漆黒の急須へと注ぐ。
 じっくりと茶葉が開くのを待ったあと、しっとりとした風合いの白磁の茶碗にお茶を注ぐ。
どんなときでも手間を惜しまない、もてなしの心が込められた優しいお茶の香り。初対面の緊張感が和らいだ瞬間でした。

ユニソン 410編集チーム

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