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シテンの置き方が、生き方をかえる。
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410 vol.4
らいおん建築事務所

代表 嶋田洋平 さん

見えないものを、建てていく。
「建てない建築家」とも呼ばれ、リノベーションによる「まちづくり」の旗手として知られる嶋田洋平さん。日本全国を飛び回り様々な地域の課題を解決していく、その手法はユニークだ。使われなくなった建物を壊して新しく建てる従来型のスクラップ&ビルドの発想ではなく古い建物に最小限の手を加えてリノベーションし、若い事業家を入居者として迎えることでそこを中心に人の流れを生み、まちに活気を取り戻す。このやり方で、嶋田さんが生まれ育った北九州小倉の商店街をはじめとして一度は人足の途絶えたいくつものまちが、嶋田さんと仲間たち、そして地域住民自身の手によって息を吹き返し、そのまちだけの魅力を発信するようになった。また、そうした全国での活動と平行して、嶋田さんは自分の事務所と住まいがある東京の雑司が谷界隈でも数々のプロジェクトを仕掛けてきた。らいおん建築事務所を立ち上げて以来ほぼ10年間息つく間もなく走りつづけた嶋田さんだが、半年ほど前、仲間と共に活動を推進してきたまちづくり会社の経営を退いたという。自らを振り返って「よくやってこられましたよね」と笑う彼は、建築家として、まちづくりに関わり続ける者として、一人の夫として父親として、今現在どんな「シテン」に立っているのだろうか。
自分が遊んだまちが、様変わりしちゃってた。
独立されて以降、驚くほど多くの案件に携わってこられた嶋田さんですが、中でも印象的なプロジェクトは何でしょうか。

嶋田:小倉の中屋ビルのプロジェクトですね、自分にとってエポックメイキングになったのは。僕は高二のとき建築家になりたいと思って、大学に入って大学院まで行ってまじめに建築を勉強し、卒業して「みかんぐみ」という気鋭の建築事務所に入って、今ならブラックと言われかねない環境でもすごく楽しく、頑張って働いた。それはすべて、いつか建築家として独立したい、自分の責任と名前においてやってみたいという思いがあったから。だけどいざ独立してみて、思い描いていた建築家像と自分のやっていることがちょっと違うなと気がついたんです。
大学時代の恩師で建築家の小嶋一浩先生は、「建築家はいい仕事だよ」と言っていました。医者や弁護士は具合が悪いとか、トラブルを抱えてるとか、困っている人に相談される。でも建築家には調子がいい人しか相談にこない。家を建てたいとか、ビルを建てたいとか、依頼者がイケイケのときにつきあうのが建築家。だからすごく幸せな仕事だって。ところが自分が独立してみたら、ウチにくるお客様はみんな困ってたんです。「何か建てたい」というんじゃなくて、「持っているビルが空室だらけで、どうしていいかわからない」って。僕はその状況に逆に燃えたんですね、自分に役割があるんだと思って。その最初の仕事が小倉の中屋ビルでした。

僕は北九州市出身で、若い頃は小倉の商店街が遊び場でした。そこにある中屋ビルのオーナーから「キーテナントが退去して空きビルになってしまう」と相談を受けたのは、独立して間もない頃です。帰省してみたらビルの問題というよりは、まちが様変わりしちゃってた。古着屋さんとか靴屋さんとか、面白かった店がみんななくなって、人通りもない。ここに対症療法的にでっかいチェーン店を入れたとしても面白くないし、何も変わらない。僕ら世代の人たちが、なくなったものをもう一度つくっていかなきゃダメだと直感して、よし、空いたフロアをリノベーションしよう、若いクリエイターたちに貸してビジネスを育ててみよう、と提案しました。結果、僕だけじゃなくてみんなの力で中屋ビルに「メルカート三番街」「ポポラート三番街」という新しいエリアが生まれて、商店街が蘇りました。でもこれって一見、建築家の仕事じゃないですよね。

建物にほとんど手を加えなくても状況が一変して、廃墟だったところで若い人たちが小さくビジネスを始めて何かが起こってる。アイデアと企画だけで蘇ってる。これって、モノとしての建築の話じゃないなと。
僕たちは、建築の、モノとしてのデザインであったり、芸術表現としての側面を叩き込まれたんだけど、それとは一見無縁なんですね、「このまちのビジネスがどうあるべきか」っていうのは。
じゃあ、どうして僕がそこから考えるかというと、生まれ育った環境と関係してると思う。僕の実家は北九州の工場街で「らいおん食堂」という食堂を営んでいました。
家族経営の小さな鉄工所が立ち並ぶ真ん中にあって、住んでる人や働いてる人が朝昼晩ご飯を食べにきて、一時はすごく儲かったそうです。ですけど、工場街が大規模化して郊外の工業団地に移っていって、まちが空洞化して、食堂の経営も難しくなっていった。まちとビジネスが密接に関わってるのを肌で感じて育ったから、小倉を見たときもまちの商売をまず考えたんだと思います。

ただ、建築物をつくるのも得意だと思っています、僕。大学からみかんぐみ時代までそればっかりやってましたから。

建築設計って例えばまだ見えてないモノも図面にして、構造や設備、素材、ディテールをどうするか、色んなことを成り立たせるための「仕組み」を考えることだと思うんですが、まちづくりやビジネスもそれに似ていて、どう実現させるかの「仕組み」を考えることだと僕は捉えていました。すごく建築的に考えてたんだけど、実際につくっているのは建築物ではなく、そこで活動する人たちの場面だったり、小さな事業だったり。そこに、大学やみかんぐみで培った能力、職能、経験というのは、確実に生きてたと思うんです。

リノベーションって事業だから。もちろん建築そのものが事業。なので、お金を稼ぐためにやるわけで、建築家が事業性を考えなきゃいけなくなっているんだなって、すごく感じましたね、小倉のまちづくりで。

もう一つ、僕は手数は少なければ少ないほどいいと思ってて、それは僕が理系出身で数学が大好きで、「すごい難問をさくっと2行くらいで解くのがかっこいい」みたいなのが根っこにあるから…。大学入試とかで、問題がちょこちょこっと書いてあって解答欄がものすごい広いの、ありますよね。それを、ずーっと長く書いて解いてくと、どこかで計算間違いするんですよ。だから計算は極力少ない方がいい。ロジックがちゃんとしていれば短く答えを出せて、その方が回答として美しい。
まちづくりとか、事業とかも同じで、切り口をスパッと、手をかけないで答えを出す方が間違いが少ないのではないかと思っていました。中屋ビルのポポラート三番街なんて、手数が非常に少ないですね。そういう意味では非常に好きですね。
日本のまちづくりに、アジアが注目しはじめた。
それでは、今、最も力を入れているプロジェクトは何でしょうか。

嶋田:今ね。今は、考えている時期ですね。小倉の商店街に始まって約10年まちづくりに関わらせていただき、リノベリングという会社に参画してリノベーションスクールにも立ち上げ時期から関わらせていただいて、スクールが全国の町に広がっていくのがほんとに楽しかった。
特にここ3年くらいは全国の色んなまちに行ってまちづくりを紹介したり、地域の人と一緒に盛り上げる活動をやっていたのですが、気づいたら自分自身の地元、雑司が谷での暮らしが、ほぼ、なくなっていた。「ほしい暮らし」なんて本に書いておいてね。奥さんからも指摘されて、ものすごくこたえて、もう一度地に足をつけたいと思っているのが、今。リノベリングも離れて落ち着いて見渡したときに自分に何ができるか、この半年くらい考えています。

でも、そんな中でも変化はあって、2年ほど前にこの事務所の1階で「神田川ベーカリー」というパン屋さんを始めたんですが色々と苦労もあり、奥さんの玲子さんに経営に入ってもらって自分も店に立っている、とか。

その他には、今、海外から声をかけられていて。一つは中国。中国はすごい勢いで都市化が進んでいるけど、この勢いが続くのか懐疑的な人たちもいる。彼らは持続的な都市にしていくにはどうすればいいかという課題を持っていて、解決のヒントが日本にあるのではと考えている。今の中国は日本でいう昭和30、40年代の高度成長期みたいなもの。当時の日本は都市に人口が集中していく中で、田舎にある資源に全く目を向けなかった。でも中国では、中心部でガーッと開発して、一方で田舎にも目を向けていて、日本の昭和30年代と令和元年が同時にやってきてる感じ。そういう中で日本が抱える問題について聞かれたりプロジェクトに誘われたり。
もう一つはバングラデシュで、そこにインフラの投資をする先進国サイドから依頼されて、たぶん夏に行きます、現地に。従来のやり方では日本と同じハコモノ行政というか、ある都市に20か所くらいコミュニティセンターをつくるみたいな計画になっちゃうから、それを持続的に維持しながら、エリアを変えてくことを考えていて、リノベーションまちづくり的な視点で、今イケイケのエリアで取り組むんです。

面白いなと思ったのは、さっきもお話しした小嶋先生は「日本に新築はなくなるから、建築をやりたければアジアに行け」って言ってました。でも当時、僕は英語も得意ではないし、勇気もなく、ドメスティックに生きて行かざるをえないっていう枠を自分にはめて、じゃあ日本で起きている問題に向き合わなければ、と考えた。その答えがリノベーションでありまちづくりであり、建築家が建築だけやるんじゃなくて、わかりやすい言葉で伝えるのも役割だと思ってやってきた。
僕ら世代って社会的な役割がないとダメというかね、わかります? 自分のためより日本のため、大きいものを背負ったほうがパフォーマンスを発揮できる、みたいな。そんな感じで日本でやってきたら、なんと、それが海外で必要とされることになっていた。
自分で海外では仕事できないと決めつけてずっとローカルでやってたことが、アジアで必要とされるノウハウだったと思うと、何がどうつながるか、わからないですよね。
家族というシテン。
地に足をつけて、と言いつつもお忙しいように感じますが、嶋田さんが「ほしい暮らし」とはどんな暮らし方でしょうか。奥様の玲子さんにもお話を伺えますか。

嶋田:いやもう、今まで働きすぎたせいか、最近はあんまり働かずに生きていけるなら、そのほうがいいんじゃないかって。というのも去年の3月に夫婦で旅行に行って、シチリア島のおばあちゃん家で一緒に料理を作って食べるっていうのをやったんです。港のマルシェでワインと食材を買い、おばあちゃん家に行って、ガレージみたいな場所をリノベーションしたキッチンで一緒に料理して。パセリとかアスパラガスとかオレンジとかレモンとか、みんな庭のその辺から採ってきてね。
で、僕の仕事の状況が変わったときに奥さんが「シチリアに住みたくない?」って。僕が55歳になると下の子は20歳、もう自分たちで生きていくでしょ。そうしたら南イタリアで奥さんと二人で暮らすって、超楽しそう。豊かさってお金じゃないし、シチリアは流れてる時間がぜんぜん違う。
僕はそういう目標がないと、極端なベクトルに走りがち。建築家になろうと思えばそっち、リノベーションまちづくりっていうとそっちばっかり。今まで雑司が谷での生活、家族、身の周りの人との時間をほぼ顧みない状態…でしたよね、玲子さん? 反省してます。
これからはバランスを保ちながら暮らさなきゃと思います。

玲子さん、うなずいてらっしゃいますね。

玲子:そうですね。嶋田家の今後のビジョンを決めたいよねって、ちょうど話しているところです。シチリアに住むのが一つのビジョン。何がいいかまだわかりませんけど。

玲子さんはこの雑司が谷でカフェ「あぶくり」を経営されていました。

玲子:子どもたちに、自分たちが働いている姿を見せたいという思いもあって、当時勤めていた会社を辞めてカフェを始めました。今の子どもってすごくたくさんの習い事に通ってるんですけど、私は子どもに習い事よりも学校が終わったらカフェにきて、例えば宿題をしながら私とお客様とのやりとりであったり、親が頑張ってる姿や、親以外の大人を見てもらいたかったんです。

嶋田さんが育った「らいおん食堂」の光景が浮かびますね。

嶋田:そこはとても意識しました。子どもが保育園や小学校帰りにカフェにきて遊んでる、そこでお母さんが働いてる、お父さんも夕方に戻ってくる、みたいな。実際はお父さん出張ばっかで戻ってこないじゃん!という感じでしたけど…ごめんなさい。僕自身が子どもの頃、らいおん食堂で父親や母親がリアルに働く姿をずっと見ていたので、大人になったら働くものだと刷り込まれていた。そういう環境で育ったらまずニートにはなりませんよね。

玲子:娘たちはとにかく応援してくれていて、誕生日や父の日、母の日には必ず手紙をくれます。「パパおしごとがんばってね」「ママ、おしごとしながらごはんをつくってくれてありがとう」って。すごく嬉しかったのが、上の子が、小学5年生なんですが「高校を卒業したらすぐ働きたい」と言いだして。理由を聞くと「ママがいつも楽しそうに仕事してて、いつも笑ってるから」って言うんです。それが伝わってるならいいよねって、ね。

「あぶくり」を閉店されたのは、なぜでしょうか。

玲子:最初から人を雇うことは決めていたんですが、6年やってみて、スタッフにお任せできる環境ができて、お店の認知度も高まって、いいお客様もついて、ある程度やりきった感が出てきたんです。
私は今まで大学も、会社も、会社を辞めてカフェをやるときも、すべて自分の「やりたい!」という気持ちが基準でした。それが「人の役に立ちたい」という意識にちょっとずつ変わってきたところにたまたま主人から「神田川ベーカリー」の立て直しに協力してほしいと相談を受けて。同時に「あぶくり」の場所を引き継ぎたいという人が現れたので、これは次に行くタイミングなのかなと。

嶋田:そもそも、なぜらいおん建築事務所の1階でベーカリーを始めたかというと、事務所のスタッフに設計の仕事をさせるため。2、3年前はまちづくりの仕事が忙しすぎてらいおん建築事務所の仕事がほぼなかったというか、受けられない状況でした。でもスタッフは設計がやりたいと言う。当たり前ですよね、設計事務所に就職したんだから。ならばここで商売をやって、それを設計案件にしようと。何をやろうか話してたときに僕がぽろっと「パン屋、よくない?」って言っちゃった。

玲子:自分が住んでるところの近くにパン屋さんがあるといいなって、ね。

嶋田:だけど、立ち上げるよりも続けるほうが大変なんだよね。売り上げを立てるのも大変だし、立地はわかりづらいし、働く環境もいいとは言えないし。それでも最初のスタッフたちが頑張って運営してくれたんですが、一年半経ったところで辞めてしまい、倒産の危機に。で、奥さんに「力を貸してください」と初めて僕からお願いしました。今は新しいスタッフも入って、ご近所のみなさんが買いにきてくれていますね。

玲子:パンはやっぱり香りをかいだときの幸せと、一個のパンをこう、手のひらに乗せたときの幸せが、すごく強いんだなって思いますね。これからもっと売り上げを伸ばさなきゃいけないし、できれば店舗か、お店でなくても販売のチャンネルを増やしたいねって主人と話しています。
視点を変えれば、ポテンシャルが見えてくる。
日本の、これからの「暮らし方」はどうなっていくといいでしょう?特に若い世代にメッセージがあれば。

嶋田:若い人たちに「こうすれば」というのは全然なくて、逆に彼らの考え方が僕にとって勉強になりますね。例えば僕の友人にシェアハウスを経営している女性がいるんですが、シェアハウスに住むあるメンバーに赤ちゃんができたんだそうです。僕ら世代の感覚だとその時点でシェアハウスは卒業でしょ。でもそのメンバーの子は、シェアハウスで子育てしたいと言った。それならということで、僕の友人は物件を買って、子育てできるシェアハウスをつくったんです。
とてつもなく理にかなってますよね。昔は大家族で子育てしてたけど、今は都市化によって核家族化が進んで、奥さんがワンオペで育児をするようになって、色んな問題が起きている。そう考えるとシェアハウスでみんなで子育てするのは正しいですよね。
一般的には、結婚という契約を結んだ二人とその子どもが一緒に住むのを家族の形と考える。でも、今は結婚しない人も多いし、子どもがいない夫婦も多い。そこに近所のおばあちゃんが一緒に住んでてもいい。家族のあり方って自由なんです。
それをエリアで考えると、このまちに住んでる人はみんな家族だよね、って支え合えるかもしれないし、こういう、今の若い世代の意識が日本社会の主流になれば高齢化社会も大丈夫じゃないですか?
僕ら世代の価値観で考えるから、家を持ってないと老後はキツイという話になるだけです。いやいや家は余ってるから。それこそ空き家をリノベーションすれば、負債じゃなくて資産になる。

日本というエリアにも価値はありますよね。過去の栄光を捨てて今あるもので何を始めよっか、と考えればポテンシャルは無限大で、ツーリズムという観点からしてもシチリアの田舎と同じように外から見れば日本の田舎はとんでもなく素敵で、素敵なおばあちゃんがいる。独居老人にしても、そういう言い方をせずに、つながりのある人たちがまとまって暮らしていると捉えればとたんに可能性が見えてくるんじゃないかな、と思います。
編集後記
嶋田さんが携われたリノベーションまちづくりを拝見するため訪れた小倉のまち。近代的な駅を一歩外へ出ると、昔ながらの商店街が見えてきます。嶋田さんの原点とも言える「中屋ビル」では、20代の女性が八百屋さんで買い物を、二階にあるカフェではおばあちゃんが美味しそうにコーヒーを飲んでいました。若い人と年配の方、観光に訪れる人と地元の方、古くからあるお店と新しくできたお店。商店街には、さまざまな新旧が入り混じる、不思議な空間が広がっていました。けれど、決してそれぞれが独立しているのではなく、すべてが混ざり合っている。その心地よい空気感が新しい人やモノ、コトを受け入れてくれていました。

みかんぐみでは建築をつくり続け、独立後はリノベーションで多くのまちを蘇らせてきた嶋田さん。とことん突き詰める熱量とすぐに実行へ移すスピード感、そしてさまざまなことを受け入れ吸収する柔軟性が、嶋田さんらしさだと思います。社会に期待される自分となりたい自分の間で揺れながらも、嶋田さんの強さを感じられるのは、自分らしさ=軸を持っているからだと感じました。どんな環境でも、軸があるからこそ進む方向が見えてくるのではないでしょうか。

新たな始点に立ち、自分のできることに真摯に向き合いながら、どんな暮らしを手にしていくのか。走り続ける嶋田さんをこれからも応援していきたいです。

ユニソン 410編集チーム

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