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シテンの置き方が、生き方をかえる。
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410 vol.5
株式会社ツクルバ

代表取締役CCO 中村真広 さん

そのまんまナカムラ。
「まーさん。」スタッフからそう呼ばれるのは、株式会社ツクルバの代表取締役 CCO 中村真広さん。共同代表のCEO 村上浩輝さんと共に2011年にツクルバを立ち上げ、二人三脚で成長させてきた。
シェアードワークプレイスの先駆け「co-ba」、リノベーション住宅の流通プラットフォーム「cowcamo」そのほか次々と新事業を打ち出し、去る7月には東証マザーズに上場して話題のツクルバだが、本紙410の視点は中村真広という人物にある。「小さい頃はどんなお子さんでしたか?」始めに問うと、まーさんは「どうでしょうね?」と、柔らかな口調で話しはじめた。
幼稚園のとき、名字が変わった。
僕ね、幼稚園の途中で名字が変わったんです。
もとは父方の姓だったんですがあるとき母方の祖父母と二世帯住宅に住むようになって、中村っていう名前になった。それまでの、自分対両親、子ども1人に大人2人の関係から子ども1人対大人4人になって、より子ども扱いされる機会が増えたんです。
じいちゃんばあちゃんにとっては孫だから「よしよし」の対象じゃないですか。
愛情をいっぱい受けてるし、欲しいものは買ってもらえるし、有難いんですけど、一方では子どもっぽく扱われることへのフラストレーションもあった。
「そんな過保護に扱わなくても、オレ、大丈夫だから」っていう、不完全な存在だという扱われ方に対するフラストレーションがあって、
ちっちゃい頃はやたらと大人になりたかった。
そういう、幼少期の自分の中のペイン(痛み)に気づいたのは最近になってから。
30歳を過ぎて自分のメンタルモデルと向き合いはじめてからですね。
「最近、まーくん暴れてんの?」
自分と向き合うきっかけが、何かあったのですか?

ありましたね。明確なのは、いま2歳になる娘が生まれて、自分も家族をつくっていく中で夫婦の関係性とか子どもとどう向き合うかを考えて、自分自身を見直さなきゃって思いはじめたこと。
あとは会社組織もこの1、2年で急成長して、メンバーも30〜40人の、ひとクラス分でパッと見渡せるくらいの人数から、60、70、80…100人弱くらいまで増えてきて、自分としては結構キツかった。
相方と2人で始めた会社が80人になって、自分ももっと代表然としてなきゃみたいな、自分自身を枠にハメるような時期があったんです。
そのとき社外取締役の高野が|還暦を過ぎてる僕らの親父役なんですけどちょうどいいタイミングでプスッと刺してきてくれて。「最近、まーくん暴れてんの?」って。
それで開き直って、経営もチームでできるようになった。
一方でさっき言ったように「家庭を見直さなきゃ」と思ってもいたので、家族で、リトリート的な目的で屋久島に行ったんです。そこでNVCをトライアルでワークしたり、参加した複数の家族でお互いの子どもを面倒みて共同生活っぽいことをやって、自分の心のニーズを深掘りしたことで感受性が高まったんですね。
それで「自分のもう一枚内側を見てみたい」と思っていたところに、ツイッターでインナーテクノロジーに詳しい友人と知り合って。
彼にメンタルモデルのセッションをしてもらって、「自分の幼少期の痛みはこれかもな」ってわかってきました。僕は今まで「自分が不完全な存在じゃないんだ」と周囲に証明するために、受験勉強を頑張ったり、起業したり、アクションしてきたのかもな、と。
家庭と会社の変化が同時に起こって、自分の中でいろんなものが繋がった。

そうした、自分のメンタルモデルに気づいたことで、どんな変化が?

メンタルモデルがわかったとしても、そのモデル自体は変わりません。
ただ気づけたことが重要で、僕の場合でいうと「自分は不十分な存在なんだ」っていう痛みがあり、痛みの回避行動でアクションしてきて、その回避行動こそ自分のアイデンティティだと思ってきたわけ
だけど、自分を奥底まで深掘りしてみると、どうやら違う。
本当は「自分自身ありのままで十分なんだ」、そのことを、自分にもみんなにも伝えたいために事業やアクションをしてるんだなと気づけたんです。
もちろん、痛みを回避するためにもがいてきた外側の自分も、本当の自分。
それが「ありのままで十分なんだ」と伝えたい内側の自分と繋がった感じで、そうか、としっくりきたというか。
co-baもcowcamoも、ツクルバっていう会社自体でも、場をつくるっていうアクションを通じて自分はそのことを伝えたいんだ、それをライフミッションとしてやってるんだと自覚できたことで、すごく強くなれた。
やってることはそんなに変わらないけど、言葉になったのはデカいです。
やっぱり創業者だから、会社にも事業にも全人格的に向き合ってきたと自負していて、「場の発明を通じて未来をつくる」っていうミッションをなぜ掲げているのか、その「why」の部分を今こそちゃんと言語化できると思ってファウンダーステートメントをつくり、「場には人の人生を肯定する力がある」というテーゼを書きました。
なぜツクルバがあるのか、何をやるのか、whyを言葉にしてみんなに伝えられたってことが僕にとってはおっきな出来事だし、ひとつの変化かもしれない。
サンクチュアリ、ハイスタ、そして俺たち。
人が肯定されたと感じる、そういう場を形づくる要素は何なのでしょうか。

なんですかね…そこにいる人々の心の許容度合いかな。自分自身を認めてないと相手も許容できなくて、排他的になったりしますよね。僕はざっくり「徳レベル」と言ってるんですけど、そこにいる人たちが自己認知できていて徳レベルが高いと、自分とあなたは違うけどそれでOKだよねっていう、懐の深いフワフワな場になってく気がします。だけど徳レベルが高いからいい、低いから悪いってことでもない。
僕は場とか組織を生態系だと思ってて、よく森のメタファーで語るんですが、森には高木もあれば低木も雑草もシダ植物もあるけど、そこにヒエラルキーはないですよね。
雑草があるからこそ土壌がしっかりして、高木が伸びる。ちっちゃいヤツもでっかいヤツもいて、根っこでは土壌を共有してて、それぞれのモチベーションで勝手に伸びてくっていう…だから徳レベルが高い人も低い人もいていいんです。
今までは、効率重視の機械のメタファーで組織を見ることが多かったけど、森のメタファーで見た方が自然な気がしませんか?結局人間が組織をつくってるから。
あとは、人だけじゃなくて、空間が影響を与える部分もありますよね。
空間によって人の振る舞いも変わるから。僕は建築分野出身だから空間の力も信じていて、ハードとしての空間とその中にいる人のマインドがいかに共鳴しあうかで、場の全体像が立ち上がってくるんだと思う。

森のメタファーはとても素敵です。
しかし事業経営にとっては、そうした自律的な組織には非効率な面もあるのでは?

時代的にはちょうど過渡期だと思ってます。将来的には「経済的なものさしで計れないものにも価値がある」という方向に社会全体のモデルがシフトしていくと思う。さっきの徳レベルの話で言うと、
徳レベルが低くてすごい利益を出してる会社と、徳レベルは高いけど利益はそこそこの会社があったとして、どっちがいいか、市場からの見え方や株価が変わってくるでしょうね。
資本主義の世の中ではあり続けるでしょうが、新しいものさしができることで資本主義のあり方が変形されていく。
ただ、まだものさしが明確じゃないから、まだまだ両刀使いの時代だとは思う。
事業適合的なマネジメントと自律分散型のマネジメントは矛盾する、けど両方やるぞってみんなに宣言してます。
両刀使いっていうとツクルバはまさにそうで、僕と共同代表の村上と背中合わせで刀を持ってる感じですね。
相方は事業体としてのツクルバをメインでマネジメントして、僕は共同体としてのツクルバをマネジメントする。
背中合わせで戦ってるから、ぶつかることはない。陰と陽なんです。
そうそう、サンクチュアリっていう結構昔の漫画があって、すごい面白いから相方にも渡して二人で読んだんですよ。
表の世界と裏の世界、それぞれでトップをとって二人で日本を変えていく話で、サンクチュアリの二人みたいになりたいよねって真面目に言ってます。

意外なものを通じて価値観を共有されているんですね。
他にどんなものから影響を?

そうですね、二人ともハイスタンダードが好きですね、バンドの。
一時活動休止したんですけど3.11が起きて再結成して、そのドキュメンタリー映画をちっちゃい劇場でやってて、行くしかない!って一緒に観に行きましたよね。そのとき他のシアターではボヘミアン・ラプソディをガンガン。
でも俺らはクイーンじゃない、ハイスタだ!って。
ハイスタもアーティストとしての自分とビジネスパーソンとしての自分の間で葛藤するんですけど、ちょうど僕らも上場を目指してる時期で、「自分たちの芯の部分と資本市場で結果を出すのと、俺らはどんなバランスでやるんだ」って映画を見た帰りに飲みながら語り合ったりしてました。

音楽のお話がでましたが、高校時代はバンド活動をされていたそうですね。

それはもう、なんでもない動機で。中学のときゆずが流行ったからアコースティックギターを始めて、高校になってエレキをやってみたいってなって、地元のギター教室の仲間とバンドを組んだんです。
僕は千葉出身なんで、幕張のフェスに行って生で海外のバンドを見て憧れてバンドキッズやってくっていう循環。
その地元のバンド仲間が、いやーもう、通ってた開成高校の友だちと完全真逆、コミュニティとしては。
千葉の稲毛駅が地元なんですが、稲毛には奇跡的にライブハウスがあったんですよ。
そこの店長はニルヴァーナとかグランジ系が好きだったんだけど、若いヤツらならメロディックパンクでも出ていいよって言われて、そこで遊んでた。
で、僕ら世代のカルチャーとしてはIWGP全盛期で、当時ドラマで「カラーギャング」って呼ばれてた集団が千葉にもいたんです。ふつうに開成高校行ってたら出会わないわけですよ。
でも地元でライブやるとそういうチームが暴れにくるし、だけどバンド仲間があるチームのメンバーと仲良くて、お前らのバンドだけは守ってやるって。あれ?いいヤツらだな、とか思っちゃって。
進路の話をすると「お前どこ就職すんの?」「いや大学行くんだよね」「マジ大学行くの?!」みたいな。
それまで当たり前だと思ってたことが、当たり前じゃない。
でもみんな「生きてる!」って感じで。視野が広がって、同時に自問自答するようになりました。
当たり前に塾行って東大行くレールに乗って、それでいいのか?って。
ただ、自分としては建築をやりたい思いはあったから、大学には行こうと。
当時は安藤忠雄さんが東大の教授をされてたんだけど僕が受験する年に退任してしまって、安藤さんがいないのに惰性で東大行くのはかっこ悪いなと思って、塚本由晴先生がいる東工大に行こうと決めた。
自分の意志で選択しようぜって思えたのは地元の仲間のおかげ。今でも実家に帰ると会いますよ。
ロールモデルは、空海だ。
お話が少し前後しますが、いまの中村さんにとってご家族はどんな存在ですか?

もう一つのスタートアップ、ですかね。妻と自分は中村家における共同創業者みたいなもので、ツクルバと中村家という2つの会社がある感じ。
中村家としては何を目指すのか、何を大事にするのかって家族経営的にも大切でしょ。
「自分たちの生き方を考えたいよね」って言って、屋久島にも行ったんです。
妻は高野山の出身で、お坊さんが多い町だからリトリート的な話には慣れているというか…
こんなツアーがあるんだけどと言ったら、「いいね、行こっか」と。

高野山ですか。なるほど別世界ですよね、あの場所は…。

すごく遠い、秘境ですよね。僕もまさか高野山の人と結婚するとは思ってなかった。里帰りがもう大変で、電車で片道6時間くらい。妻の実家は土産物屋で向かいに三宝院というお寺の分室があって、そこの住職で飛鷹全法さんという方がたまたま開成学園の先輩だったんです。
高野山の居酒屋で飲んでて偶然知り合ったんですけど。この人が面白い人で、東大で南方熊楠を研究していて、卒業して渋谷のビットバレーで起業して、その後ご縁があって高野山のお寺に婿養子に入ったという。高野山に里帰りするたびに二人で飲むんですが、ビジネスもわかるし仏教も語れる人だから、高野山にいるのにベンチャーの話ができる。
ヘンな感じですけど有難いですね。全法さんも言ってますが、高野山を拓いた空海ってすげぇなと。
ツクルバのロールモデルは空海だなと。だって見事に場づくりしてるじゃないですか。
山奥を拓いて聖地をつくって、有名な武将…つまり時代の権力者の墓を集めて、今でいうサブスクモデルで課金してる。周りにはお寺が何百とあって、そこが宿坊というゲストハウスを経営しているという、サブスク×ゲストハウス×コミュニティ型ビジネスをやってるんです。
しかも高野聖っていうエバンジェリストたちが全国に散らばって「高野山いいよ」って広めてて、そういう、ビジネスモデルが全部ある。空海がなぜ高野山を選んだかというのも、当時の都、京都からちょっと離れた自然の中だったからで、都と行き来することで自分を整え直すという意味があったらしい。実は僕も同じことを考えたんですよ。東京近郊に自分をソートし直す場所があったらいいんじゃないか、それをリゾートじゃなくて「リソート」と呼ぶのはどうかなと。
そうしたら空海がもうやってた。1200年前に。空海は今も生きていて「奥の院」で修行してるそうです。
毎日食事が運ばれてて、たまにスパゲッティとか入ってるらしいですよ(笑)。

空海が生きてるから人が集まる、その発想もすごくないですか?それに高野山には矛盾もあって、もともと
あそこは神様の土地で、神社があるんです。神仏が合わさって、矛盾を受け入れて定着させてるって、
すごく面白い。違うもの同士が共存するコミュニティモデルとか、自律する組織とかとつながってくると
思う。高野山の歴史から会社経営のエッセンスをもらえる気がしてますね。
自分のbeをさらけ出せる、場。
高野山出身の奥様と出会ったのも、偶然ではないように感じます。

かもしれませんね、いろんな意味で。ぶっちゃけよくケンカするんですよ、性格的に僕とは真逆でめっちゃ感情を出す人だから。それでも一緒にいるのはなんでなんだろう、というと、感情を出せるってことに憧れてるのかもしれない。話が戻りますけど、自分が幼少期に子どもっぽく振舞えなかったから、感情的になれる相手をある意味で認めてるのかも。
たぶん自分と違う人だからいいんでしょうね。その意味ではツクルバの相方の村上も、僕とは全然違うんですよ。
メンバーに聞いたらすぐわかりますけど、キャラも違うしコミュニケーションの取り方も違う。違うからこそ補い合ってバランスがとれるのかな。家庭でもツクルバでもそうだけど、「自分がこうありたい」というbeの部分が開放されてる状態が絶対幸せなはずだと思ってて。無理しないほうがいいなって。そのためには自分のbeに気づいて、それぞれ違う人同士が「オレってこうなんだよ」「私ってこうなんだよ」って対話できるのが重要だと思うんです。
だから、co-baもcowcamoも「人は誰しもありのままで十分なんだ」ってことを伝えるために僕はやってきた。
「場には人の人生を肯定する力がある」というテーゼはそういう意味で、co-baで言えば、会員さん一人ひとりのチャレンジを許容する場でありたい。例えば渋谷なら「ベンチャーやってます」って人は多いですけど、地方都市になると浮いたりするんですね。熱いこと言ってるヘンなヤツ、みたいな…それってめっちゃ不自由で、だからこそco-baがそれを肯定したい。ここならいいよ熱くても、みんな熱いから、って。

cowcamoにしても、例えば服や旅行なら自分なりに自由にできるのに、家って不自由だよねってところからスタートしてる。自分のフェティシズム全開の家に住んでる人ってなかなかいないじゃないですか。特に賃貸マンションだとみんなテカテカのフローリングに白いビニールクロス、あとはポスターを貼るくらいしかできない。でも所有型のリノベマンションだったら自分の世界観に染め上げていいじゃん、その世界観のあるものが二次流通三次流通するマーケットをつくるんで、自由にあなたのフェティシズムで染めてください、逆にあなたに合う一点ものの物件にも出会えます、っていう事業なんです。
自分のbeを開放する生き方を住環境で肯定してあげたい、それがcowcamoの思想ですね。
何回も言うと、co-baもcowcamoもツクルバっていう組織自体も、その人のありのまま、そのまんまの人生を肯定する場にしたい。
僕自身が自分のbeの内側に気づいたことでそれが言語化できてモヤモヤしてたものがガチッときたというか、満たされつつある感じですね、いま。
編集後記
取材の後、ツクルバのキッチンスペースで開かれたイベントに参加させていただきました。オフィスに一歩踏み入れると、〈場の発明を通じて欲しい未来をつくる〉と企業理念が大きく書かれたボードが。そのまわりには”あなたの欲しい未来は?“という問いに対して、スタッフそれぞれが思い描く未来が直筆で書かれていました。その多様な答えからは、個の強さをそれぞれが発揮する、これからの企業のあり方が見えた気がします。

開始時間になると、新宿ゴールデン街の店先で見かけるようなレトロな電飾看板が登場! ”発明酒場フィーバー“と描かれた看板が灯ると、一気に立ち飲み屋さんに(笑)。細かな演出にも手を抜かず、とことんやり切る場づくりこそツクルバらしさです。

イベントを仕切るのは、人なつっこい「野武士さん(愛称)」。その立ち振る舞いは3か月程前にアルバイトとして入社した(現在は契約社員)とは思えないほど。野武士さんをはじめ魅力ある人が集まってくるのは、中村さんがチャレンジすることを奨励し、自身が率先して場づくりを楽しんでいるからではないでしょうか。みんなから「まーさん」と呼ばれ、たくさんの人に
囲まれている姿を見ると、代表という肩書にとらわれないフラットな関係づくりが組織の一体感をつくっているように感じます。
『個性を活かし活躍できる場』
それがツクルバであり、多様性のある組織が進化を続けるツクルバの強さにつながっているのだと思いました。

ユニソン 410編集チーム

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